久しぶりに,mixiの日記を書いてみた.せっかくなので,こちらにも,多少改変の上,投稿することにする.
ようやく明日〆切の原稿の区切りが付いたので,少しゆっくりできる.気づけばもうGWである.
札幌に来て2度目の春を迎えたのだが,2年目になるといろんなことが変わるのだ.ちょっと列記してみよう.
・なぜか半月ごとに原稿の〆切が来る
このせいで3月-4月の睡眠時間はほとんどとれず.
・なぜか仕事がばかすか降ってくる
お気楽な1年目とは違い,さまざまな仕事が降ってくるようになった.そのためただでさえ短い睡眠時間がまた短くなった.2時間睡眠の後2コマ授業,その後飲み会なんてことも.
・でもやっぱりぺーぺーのままだ
今年度うちに来たのは偉い方ばかり.今年もやっぱりぺーぺーのままだわ.
・吹奏楽部の副顧問になった
某同僚たちのいきな計らい(というか余計な一言)で,話が進んだもの.でも嫌いじゃない.だって吹奏楽は大好きだから.
・春が待ち遠しい
本州ではすっかり初夏だろうが,こちらはまだ桜が咲いていない.GWにはいってやっと津軽海峡を桜前線がわたったらしい.
こんな感じで毎日過ごしている.今日も早く寝なきゃ,と思いつつ,こんな時間までどうでもいいことをして時間をつぶしてしまった・・・
Archive for the ‘雑感’ Category
2度目の春
水曜日, 5月 2nd, 2007質的研究セミナーに参加
土曜日, 2月 24th, 2007日本質的心理学会研究交流委員会企画セミナー
「質的研究法は教育研究をどう変えるか」
主催:日本質的心理学会研究交流委員会
共催:日本教育工学会企画委員会,学習工学研究会(日本教育工学協会団体会員
2007年2月24日10:00〜17:00,金城学院大学
というのに参加してきた.
前日から某後輩の家に泊まり込み,酒をたらふく飲み・・・
まあ当日は裏方仕事ばかりやっていたが,それでも少しはセミナーに参加することができた.
とにかく盛況.これほど多くの人が来るセミナーもなかなかないね.
個人的には,後輩との友好を深められたことが一番の収穫かなと思っている.O谷研全員集合もある意味圧巻だったし.
まあまた名古屋に行くので,そのときは宿泊をお願いしたいと考えている.
あるあると教育再生会議
木曜日, 1月 25th, 2007 教育再生会議の第1次報告が出たが,中身は問題外だというのが第1印象である.まあ一応教育を学ぶ者としては当然の感想かもしれない.でもある程度面白い試みもあると思うのだが,気になったのはその性急さと「はじめに結論ありき」という姿勢だ.
ここでふと思ったこと.
学力をつけるためにゆとり教育をやめますってところだけど,はたして本当に「ゆとり教育」が学力低下の原因なのか?このあたりの議論はほとんどされていないように感じる.
もっと言えば,「ゆとり教育世代は頭が悪いからけしからん.ゆとり教育をやめよう!」と言っているだけのような気がする.印象として,「これだから戦後生まれは・・・」とか「近頃の若者は・・・」と何も変わらないように思う.
この背景には,ゆとり教育世代が起こした様々な事件,学力テストで世界一から転落したこと,ニートやフリーターなど,この世代の「生きる力」が弱っているさまががたびたび報道されていることがあるのではないかと思う.その中で,ゆとり教育世代=悪という図式ができあがってきたのではないか.
そこから,ゆとり教育が学力を低下させたという「幻想,思いこみ」が出てきて,それがマスコミにおもしろおかしく取り上げられ,日本全体がなんとなくそう思いこんでしまったのではないか?そう,ちょうどマイナスイオンと同じように.
これじゃああるあるを見て,脊髄反射で「納豆買いに行かなきゃ!」ってスーパーに行った主婦と,何も変わらないんじゃないのか?>教育再生会議報告
どちらにしても,現象や言説を論理的に読み解く力, いわゆる「情報活用能力」の育成が,大人にも子どもにも求められているのだなぁと実感した.
ちなみに,今回の納豆事件はblog上でも大変話題になっている.みなさんどちらかというと,テレビ局の問題点について述べている.メディアリテラシーとか,そういう観点からの意見もたまにあるけど.
・納豆ねつ造事件に見る情報番組の腐敗構造(ハコフグマン)
・納豆ダイエット捏造はなぜ起きたのか(池田信夫 blog)
・「あるある大事典」を存続させよう (kikulog)
・あるある大事典が「一切リンクお断り」としていた心境を推察すると見えてくるもの(高木浩光@自宅の日記)
↑「リンク禁止」サイトに真正面から異を唱える方のサイト.その視点からあるあるを見ていて面白い.
・あるある大事典のニセ実験と洗脳
↑ずいぶん前から問題点を指摘していたらしいサイト
世間はアホなのか?
水曜日, 1月 24th, 2007現在大問題となっている「あるある」の「納豆問題」.テレビ局のことを悪く言う者もいるし,だまされる方がおかしいという者もいるし,納豆業界に同情の声を寄せる者まで様々である.
ちなが感じているのは,「科学」の仮面をかぶった「疑似科学」は,テレビというフィルタを通して一般化され,さらにそれが一度一般化されてしまうと,もう取り返しのつかないことになるということ.
一見「科学的」に見える「実験」は,どうみてもあれは実験じゃないだろう.対照実験も何もやってないし,プラシーボ効果だっけ?そんなのも一切無視した設定の実験だし.サンプル数も少ないし.
質的研究アプローチ的に考えても,もっと被験者のナラティブというか,語りをじっくり聞いて,その2週間で何が起こったのか,この結果彼女はどう自分をとらえるようになったのかなどを明らかにしないとだめでしょうね(笑
しかし一般の大衆にはそんなことが分かるわけもない.そういう意味では,テレビ(少なくとも日本の民放)に「科学」を求めている時点で無理な話なのかもしれない.でも,テレビはそれをわかりやすく伝えるという役割もある.(現在その役割はNHKとディスカバリーチャンネルが担っていると信じたい).
ところで,テレビが生み出した罪は納豆だけではない.以下に代表的な例を挙げておく.
・マイナスイオン
・遠赤外線
・1/f
とくにマイナスイオンはひどい.イオンって水溶液内に存在するんじゃないの?あ,それは陰イオン?じゃあマイナスイオンってなによ?どの物質がイオン化したものなのよ?などつっこみどころ満載である.そしてマイナスイオンを推進した番組が,まさに「あるある」だった.
何の科学的根拠もないまま,そして誰も正体が分からないまま,国民に浸透していった事例である.
あと,個人的には「おもいッきりテレビ」もひどいんじゃないかなと思っている.この二つの番組が日本をだめにした.逆に言えば,この二つの番組によって,世間がアホだったことが実証されたと言える.おお,これは壮大な実証実験だったのだ!