4/24は岐響ジュニアオーケストラの第19回定期演奏会であった.場所はサラマンカホール.今回のプログラムは,ヘンデルのガボット,ベートーベンのコリオラン,モーツァルトのFlコン2番,ベートーベンの2番というものであった.ちなは当日用事があったので,会場に到着したのは午後3時頃.ベト2が始まる本当に直前(指揮者がもう構えてた)だった.
本来ならば,ちなも出演するはずであった.その証拠に,プログラムには名前が掲載されているし.でも仕事の都合でどうしてもいけなくなり,急遽Zさんに代役をお願いしたのだ.とはいえ,プログラムに名前が掲載されている以上,顔くらい出しておかないと,と思い,無理矢理駆けつけた次第である.
さて,今回のベト2は結構良かったと個人的には思った.緊張感伝わる演奏だったと思う.しかしそんなことよりも(というと怒られそうだが)ちなが気になったことがあった.
母校の学生の制服のスカートが短い.ちなが在学中の頃は膝下まであったはずだが・・・
ということもあるのだが,それはそれでちょっとおいておこう.
それは,岐響ジュニアオーケストラが来年20回目の演奏会を迎えるということ.それが意味しているものは何か.記念といえば記念だな.そういえば第10回定演でやった曲はなんだったっけな?サラマンカホールで初めて演奏会をした時じゃなかったっけかな?記憶があいまいだな.いずれにせよ,あれからかなりの時間が経過して,岐響ジュニアオーケストラが変化しているということを強く感じた.
もちろんそれは,ちながそこで過ごした時代とは違うからそう感じるのは当たり前で,音楽に対する思いとか,そういう根本的なものは変わっていないんだろうと思う.指導者が変わらぬ情熱を注いでいるのだから,そこは変わらないだろうし,また変わって欲しくない.
しかし今,岐響ジュニアオーケストラは存続の危機に立たされているらしい.10年前とはまったく異なる状況.それは,団員の減少,指導者の限界などだろう.おもえばみな歳を取った(もちろんちなも含めて).こういった状況下,ちなをはじめとする元団員は,岐響ジュニアオーケストラに何が出来るだろう.そんなことを思っている.
団員内では,実は話し合いが行われているようで,いろんなことを自分たちでやりとげよう,という雰囲気が醸成されているらしい.たとえば,この日の打ち上げは近くの浜木綿だったそうだが,この打ち上げも自ら企画したそうだ.ちなはこのことを,練習場にぽつんとおいてあった,ジュニアの記録帳みたいなもので知った.すごく良いことだと思ったし,涙が出そうになった.こういうときに苦楽をともにした仲間って,すごく良い仲間になるんだよ.絶対そう.
そういうことを知ってしまうと,何かしたくなるのが人情.でも実際には何も出来ないことが結構悔しかったりもする.だからこうして,web上でだらだらと気持ちを書き殴るくらいしかできないんだな.そこらへんがちなの弱いところである.いつかどかんと差し入れでも持って行こうかな・・・
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岐響ジュニアオーケストラ定演
日曜日, 4月 24th, 2005夢の跡へ
火曜日, 3月 22nd, 2005 池辺晋一郎.この名前に聞き覚えはないか?あのだじゃれで有名な作曲家.N響アワーに出ている作曲家である.そんな彼が,20日,21日と岐響を振った.
今回はファミリーコンサートなので,ポップな曲が並ぶ.さらに21日は最近始まった「花フェスタ」では「岐響ハートフルコンサート〜池辺晋一郎の世界〜」というタイトルでの演奏会だった.
ところで,この2日間で大きく違うのは「夢の跡へ」が入っているか入っていないか,ということである.この曲は昨年,岐響が創立50周年を迎えた際,池辺晋一郎に委嘱した作品である.ちなはこの曲がとても苦手で,実はあまりやりたくなかった.何が一番いやかというと,テンポ40で繰り広げられるバスドラムの饗宴の部分.BDをやるのにあれほど気を遣ったことはこれまでなかった(というかそれまで気を遣って演奏したことが少ないのがいかんのだけど).
まあそれでもなんとかこなせるようになってきた.そうすると人間欲が出てくる.この曲の最後の部分に,銅鑼をスーパーボールでこするという指示が書いてある.これは幽霊の声を表している部分なのだそうだ.サントリーホールでの公演の前日,池辺晋一郎自ら銅鑼のところまできて,スーパーボールを半分に切るように指示し,「こういう音がほしいんだ」と模範演奏までしてくれた.この部分をうまく演奏したい!という思いがふつふつとわいてきていた.
結果的には,リハーサルでものすごいいい音が出た(これではじめてこの音の存在に気づいたと思われる人多数)のだが,本番はちょっとよくなかった.それでも客席には届いていたようだ.
で,この曲は当然(?)花フェスタで演奏されることはなかった.まあいいんだけどね.それはそれで.そんなことよりも,花フェスタでは,リハーサル時の焼き芋売りのおねいさん,昔子どもだったはずの女性(きれいになってて2度びっくり),池辺晋一郎直筆サイン&ツーショット写真等が,ちなのこころをくすぐっていたのだった.
スーベニア
水曜日, 1月 12th, 2005spitzの新しいアルバム「スーベニア」が今日発売された.久しぶりのアルバムだ.そういえばこの前色色衣を購入したばかりだった.いやね,いつもいつも買おう買おうと思っていて,そのまま時が流れてしまうというパターンなので,購入がどうしても遅くなってしまうのだ.
しかし今回は,(たまたま)TVCMで流れているのを見たので,これは買わなきゃ,ということになった.一応スピッツファンを自称するちなとしては,やはり購入は必須.できれば発売日に購入したいなどと考えている.とはいっても,発売日にいちいちCD屋に行くのも面倒なので,今回はamazonで購入することにした.届くのが楽しみだ.
スーベニア スピッツ by G-Tools |
名古屋大学吹奏楽団第9回定期演奏会
土曜日, 12月 4th, 2004 12月4日は、栄のアートピアホールで、なごすいこと名古屋大学吹奏楽団の定期演奏会が行われた。なごすいといえば、ちなもその昔所属していた団体である。ここにはちなの青春がつまっていると言っても過言ではない。そんなわけで、毎年この時期になると、楽しみにしている行事のひとつである。
今年のメイン曲は、アッペルモントのNoah’s Ark(ノアの方舟)であった。この曲はちなが好きな曲であり、それゆえ非常に今回の演奏会も楽しみにしていた。
全体的な感想としては、まだまだ若いなぁというものであった。それは良い、悪いという意味ではない。たとえば第2部の演劇も、学生でなければできないだろうな、という、ある意味郷愁を含んだものとしてとらえていただければよい。
この演奏会の1週間ほど前に、豊田講堂で行われたゲネプロを見たが、それに比べれば短期間でよくここまでもってきたな、と感心した。ちなはやはり打楽器奏者なので、どうしても打楽器ばかり見てしまうのだが、このパートもよくやったと思う。
最初の方こそ固い演奏だったと思うが、次第にほぐれていき、ノアは結構鳥肌がたったりしていた。もちろん細かいミスとかそういうものはあるんだけど、そういったものはそれほど問題ではないのかもしれない。
まあ、あと惜しむべくは、Timpaniが会場のものをレンタルで使っていたために、音を鳴らし切れなかったかもなぁということくらいかな。これはどの団体においても問題となる事項だと思うが。リハーサルしかその楽器に触ることができないというのは、実はかなり大変なことなんだろう。それを乗り越えてこそ良い打楽器奏者となることができるのかもしれない。
とにかく、演奏した現役のみなさんにはお疲れさまと言いたい。また、演奏会後に卒業生の皆さん30名ほどと飲みに行ったが、こういうふうにいつまでもつながっていられることが、とてもうれしく感じた。これからもこの関係が続くことが、ちなにとっては大切なことである。また飲みに行きましょう!
打楽器奏者が求めるべきもの
日曜日, 11月 28th, 2004 打楽器奏者にとって、何が一番大切か。聞かれる間もなくそれは「音質」だろう。今回行われた、岐響の定演で痛感したのは、まさにそれであった。
岐阜県交響楽団第66回定期演奏会。指揮は小松一彦先生。これまでに何度も岐響を振ってくださっている。昨年はサントリーホールでので創立50周年の記念演奏会を振ってくださったが、それに引き続いての登場。曲はバッハのパッサカリアとフーガをレスピーギがアレンジしたもの、ベートーベンの皇帝(ピアノは加藤るみさん)、チャイコフスキーの交響曲第4番である。ちなみにアンコールは、チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレだった。
ちなの担当は、バッハのTimpani、チャイコのCymbalだった。バッハは、とにかく出番が少ない。ずーっと待ってて、盛り上がるところではじめて入ってくる。この待っている間は、結構微妙な時間である。曲は流れているんだからそれに乗っからないといけないので流れは把握しておかなくてはならない。そして出番がきたら、待ってましたとばかりに流れに乗った音を出すのだ。
この場合、レスピーギがTimpに求めているのはオルガンのペダルの音だろう。なので、とくにロールの部分は均質に、全体を包み込むように音を出すよう心掛けた。ま、うまくいったかどうかは聞いていた方じゃないと分からないかもしれないが。
チャイコも出番が少ない。というか第四楽章のみである。まっている時間は長いけど、四楽章はお祭りなので待っている間のうさばらしができる。これはもうひたすら華やかに、きらびやかに楽しく音を出す。でも1カ所だけ、音の違うところがある。それが、Cymbal Soloと書いてある部分。ちょうど3拍子になってゆっくりになり、一楽章の運命のテーマが出てくる部分である。ここだけは、重々しい、冷淡な、すべての希望を打ち砕くような、そういう死神の音とともに、いままでとち狂っていた民衆の、訳が分からなくなった時にを出す驚きとか、そういった音を出さなくてはならない。もちろんこの部分のイメージは小松先生の指示を聞いて考えたものである。
たかがシンバルとあなどることなかれ。Triangle同様音を出すのが難しい楽器だ。だから、複数の方から、シンバルの音よかった、と言われた時にものすごくうれしかった。音楽をあまり知らない方に言われたこともうれしい原因のひとつである。
まあ今回ながながと書いてしまったが、とにかくそういうことだ。打楽器奏者たるもの音質を追求するべきである。某CMにあった、「トラーイアングル、チンチン」なんてのは論外である(たしかウッチャンナンチャンが出てたエアコンか何かのCMだったと思う)。